それにしてもひどい顔をしている。ザ・二日酔い。
そんな日だった。
前夜ものすごく上機嫌に長時間飲んで、
どうやって帰ってきたのかの記憶もないくらいに飲んで、
帰宅すると家では動画を探しだしずっと歌っていた。歌は中山美穂。
よしみさんがやってきて帰っていってからすこし反省した。
撮影にくるのが決まっていたのに、まったくそれを気にせずに飲んでしまった。
おかげであまり話す気持ちになれないし、
なんなら昼寝したいくらいで、失礼なことをした。
でも、送られてきた写真を見たら、OKと思えた。
撮影があるのを気にせず飲めるくらい撮影に対して気を遣っていない。
むくんだ顔で眠そうに「いらっしゃい」を言えるってすばらしいじゃないか。
よしみさんと2人展をしていたのはちょうど1年前だったみたい。
「あ、今日おじさんの命日だ」とよしみさんは言い、
そのおじさんはぼくらの展示期間中に亡くなったのだった。
あの春の中目黒での時間を一瞬はっきりと思い出した。
ああ、楽しい展示だった。跡形もなく終わってしまった。
同じ春はもうやってこない。
だけどあたらしい春がやってきた。
きのう友だちに「もし寿命がひと月だったらどうする?」と質問された。
余命一ヶ月ってフレーズにはリアリティがないので、
4月2日のきのうだから「5月2日に死ぬってことか」と
具体的にひと月を捉えなおしたら、ググっと死がほんとうに思えた。
暗い空にビカっと雷が光るように最期の日々にしたいことが浮かんだ。
ひとまず、「ぼくは5月2日死にます」とブログやSNSに発表して、
死が迫りくる残りの日々に感じたこと考えたことなどを、絵や文や写真で表現する。
そして、これまでお世話になって数々のスペースをもう一度お借りして、
展示会をひらき、関わった人に会いにきてもらおうと思った。
するするとそんなアイディアが言葉になって出てきて、自分でも驚いた。
え、そんなことがしたいんだ。
ああ、それくらい表現、発信をしたいんだなあ。
いきなりパズルの最後のピースがハマった感じ。
たとえば生きている意味や使命を、ぼくはどこか大げさに考えていたみたい。
でも、そうではない。
「あれをやってみたいなあ、こんなことできたらいいのに」
そういうこと。
自分の中にあたりまえみたいにある憧れだったり欲求だったりニーズは、
その命が存在する意味や目的なのだと思った。
もし本当にひと月後に死ぬとなっても、今日もお昼はいつものパンとコーヒーがいい。
何日かおいしい外食もしつつ、ミッチーのご飯を食べたい。
eat LOVEもしたいし、絵も描きたいし、
文も書いて、写真も撮って、猫を愛でて、タバコを吸って、お酒を飲んで、
なんだろう、今の暮らしそのままだ。
死を前にして、今の幸せに気がついた。ぼくだけの幸せに。
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