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  • 執筆者の写真eat LOVE

eat LOVE Day 4 / われに返る夜

更新日:2018年9月9日

eat LOVEは4回目。

考えてみれば、よしみさんとまともに話すようになってから、まだ半年も経っていない。

けれど、今ではふつうにぼくらの日常にいる。

いつものお昼に彼女がいることの違和感がない。

もちろん特別感はあるのだけど、

よしみさんが来るからといってもはや掃除をして迎えるみたいな感覚はない。

人と人の出会いってほんとうにふしぎだなあ、って思う。


本日は、昼の部。

11時40分に到着するという知らせを受けたときはまだベッドの中にいた。

べつにあわてることはないが、あと40分後に会うのだよな、と思うと笑えた。

ミッチーも同様のようで、まだベッドの中。

家族がやってくるといったって、

前夜から献立を考えるどころか下ごしらえすらしそうだけれど、

たぶんなんにも考えていないのだろう、ぼくに遅れること数分、

じつにのんびり起きてきたカレ。


外は曇りだったかすこし雨がパラついていたのかもう忘れてしまった。

天気がどうであれ、どうでもいいくらいよしみさんがいることの存在感はおおきいみたい。

雨でもOK、雷もおもしろい、快晴だったら最高だけど、大地が揺れていたって、

わー、と一緒にたのしめそうな人。


ランチは、いつものようにパンとコーヒー。


こんなにふつうのご飯を昨日と変わらぬテンションで食べることのどこに、

撮影にあたいする何かがあるのだろう。

やっぱり今日もわからない。

だけど、毎度おくってくれるその日の写真を見ると発見がある。

日常って、それを愛するからこそ「日常」となるのかもしれない。


縁側の物干しポールに昨夜つかったバスタオルが2枚ならんで干されている。

その配置などまったく考えることのない赤と桃のバスタオルがただただ並んでいる。

あまりにも生活の一部で、

それがどうだと気にも留めないその光景に彼女はシャッターを切っていた。


写真をみて、あ。となる。

そうか、そんなぼくらの暮らしは、

宇宙中どこを探してもないぼくらだけの暮らしなのだものね。

もっといえば、目に映るすべてのもの、

手に触れるあらゆる感覚は、ぼくだけのものなのだ。


誰となにをわかちあえたとしてもそのすべてではない。

どこまでも、どこまでも、どこまでもひとり。みーんな、ひとり。

生まれてから死ぬまで一瞬のすきまもなく、私たちはなにかを与えられている。

たったのひとりのために、二度とおなじもののない瞬間が片時もなく贈られている。

なんとすごいことなのだろう。


夜。

あたらしいことが立て続けにもたらされ始めたこのごろに、心がざわざわ落ちつかない。

心のたよりにしているオラクルブックをひく。


108番。「人生の贈り物」。


なにももたずに生まれ、なにももたずに死ぬ。

人生がどれほどたくさんの経験を、

感情を、人を、出来事を、物を、お金を、仕事を与えてくれたのか思い返してください。

そして、ひとつひとつ感謝をしてください。


そんなことが書かれていた。

鳥肌がたった。すこし泣きそうになった。

ごめんなさい。なんとわがままな私であったのでしょう。

こんなにも豊かな人生に、なにを不満にいたのだろう。

人生を、もう一度はじめよう。

きょうから6月がはじまった。












今日のごはん

・コーンチーズトースト

・近所のパン屋さんのコッペパン


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