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eat Love Day 7 / ありがとうだけがある

更新日:2018年9月9日

eat LOVE という名前は、よしみさんとの3月の展示にあらわれたものだった。

そのときもポエムのようなものを書き、

いっしょにeat LOVE という作品展をするはずだった。

けれど、いろいろなことが起こり、いったんステイ。

いつの間にかふたりの中から Hello, って新しい名前が生まれ「Hello,展」を行った。


まさかこんなにも毎日「eat LOVE」と口にだし、

文字にする夏がやってくるだなんて想像もしなかった。


人生って面白いのかもしれない。

じつは、どこまでも豊かで、与えられるいっぽうなのかもしれない。

そんなことを思う。


7回目の eat LOVE は初めてゲストがやってきた。

東京からシティーボーイ&シティーガールが車でやってきた。

その大事な会に、よしみさんは急遽のうれしい仕事が入ったため、

なんならご飯も食べずにおいとまします、という。

えー、って思った。

それはぼくの緊張だった。

駒沢からやってくるふたりとぼくとミッチーともしかしたら大家のレイさんとで、

いったい何を話したらいいんだろう?

そういうことが頭を瞬間グルグルした。


けれど、やってきたふたりは、

これまで都心で会った人と、似て非なるムードで、

それは聞けばさっきまでスーパー銭湯へ行っていたからのようで、

シティーなカップルから「スーパー銭湯最高だった!」と言われると、

なんか、ぜんぶ馬鹿らしくなった。

え、緊張ってなに? なんで緊張が必要なの?


ちいさい家に大人が5人。みんなパジャマみたいな感じ。

ぼくもミッチーもさっきシャワーをあびたばかり。


なんだろうなあ、たのしいなあ。

ずっとそういう気持ちがふわふわしていた。

おみやげに持ってきてくれた瓶ビールがいい感じにきいているのかもしれない。


ご飯を食べる。

だいたい人は毎日食べている。

ぼくも毎日2回は食べている。

同じご飯でも違うことがあるとしたら、

目の前の料理に、ありがとう!って思えるか否か。

それだけかもしれない。


eat LOVE は、

ぼくは毎日食べているミッチーのご飯なわけだけど、

いちいちそういう名前を与えその日は eat LOVE ごはんとなるわけです。


実は、いや当然なのかもだけど、

ミッチーのご飯は別に変わらない。

あなたお料理の才能あるね、って言いたいほど毎日おいしいものがでてくる。

ただ、ぼくの状態が違うのでしょう。

いつもより「ありがとう!」「いただきます!」の熱が高いのかも。


最近、よしみさんとミッチーと三人で「ありがとう」のワークをいっしょにやっている。

毎日毎日たくさんのことへ感謝の気持ちとありがとうの言葉を発している。

そうして気がついたのは、ありがとうって愛していますってことなんだ、ということ。


あなたがあなたであることがありがとう。

あなたがあなたであることを愛している。


世界が世界であることがありがとう。

世界が世界であることを愛している。


なんの根拠もないんだけど「もうぼくは大丈夫!」って思えてしまうこのごろ。

「やばい、そんなことをしていたら足元をすくわれる!」

そう心配の声がどこかから聞こえてきても今日のぼくはやっぱり「大丈夫!」って思える。

だって、愛しているのだから。


灼熱の八王子のこの夏を、

だらしなく終日眠る猫を、

汗びっしょりで料理するカレを、

寝巻きみたいな格好でふふふーと写真をとる彼女を、

瓶ビールって気分でねってな彼を、

目をじっと見据えて飲み込むように話をきく彼女を、

テキパキと台所と居間をいそがしい彼女を、


ぼくは、ありがとう!!!って思っている。あの夜も今も。

そうなってしまうと、いつ世界が終わってもいい気さえする。

その瞬間もありがとう!って、そのときは大声で叫ぶのだろう。


つぎはそうめん流しをしようって話になった。

いいね、そうめん流し。そうめん流しやりたーい。

ぼくはそうめん流しじゃなくて、流しそうめんなんじゃない?

ずっと、はてな? が頭を弾んでいた。


またいつかみんなで会えるだろうか。

流しそうめんできるかな?

とにもかくにもぼくたちのゆうげには、たぶんくっきり愛があった。

ありがとう、ありがとう、ありがとう、

それだけで充分。














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