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  • 執筆者の写真eat LOVE

eat Love Day 8 / 愛の種をまく

みんな違ってみんないい、とか言うけれど、

それは人に対してだけではなく、日々に対しても言えることかもしれない。


あの夜はハイボールなんか作って飲んでして、

にぎやかに笑ったり喋ったり楽しかったけれど、

今日は朝から心身ダルく、ずーんって感じ。

陸にいるんだけど水の中に潜っているかのような世界の感じ方をしている。

この作文もいつもみたいに嬉々として向き合っていないけれど、

でも、こういう自分であることも貴重なんだな。

これも豊かさのひとつ。


猫がそれにしてもかわいい。

よしみさんはウチの猫たちの写真を撮ることがすこぶるうまい。


毎度、ミッチーと目を細めながら

「かわいいねえ」と親バカみたいになってしまう写真があって、

その写真だけで、ぼくはこの機会がものすごく価値あるものに思えてしまう。

いわんや本当に自分の子、

人間の子どもだったらどのような感覚になるのだろう、わからない。

そして、べつに知りたいとも思わない。

この点に関してのぼくは、とてもクレバー。

ないものねだりはしない。


この夜、なにを話したのかあまり覚えていないのはたったの1杯のお酒の力だろうか。

飲酒した瞬間、脳のどこかがとろけたように思考の速度がペースダウンし、

べつになんでもいいか、ってなったのを覚えている。

たくさん話したかったんだけどね、

いざその場になると、あんがい話したいことが浮かばなかった。

よしみさんは唐突に、思い出したように、

「あ、のむらさん元気でした?」と言い、すぐに、

「あ、でもずっとメールしているから元気なのは知ってた」と言った。


なんだかんだ半年以上よしみさんとメールのやりとりをしている。

1週間に3、4通だしているかもしれない。

しかも、「了解!」とかそういうライトなものじゃなくって、

ああでこうで、こうでああで、だから私はああしてこうした、

そういうややこしいけれど大事だと感じる感情や出来事について伝え合っている。


3月の展示が終わったらもうこのやりとりはなくなるのかなあ、と思っていた。

すごくさみしいけれど、それはそれできっと悪くはないし、

もともとなにもなかったところに生まれた期間限定ギフトだったのだ。

そんなことを思いミッチーに伝えた気がする。

けっか、あらたにミッチーまで加わり、今3人でこういうことをしている。

人生って未知。未知だからこそまた感動ができるのだろう。


この日、印象深いのは駅からよしみさんを家に乗せた車の中で、


「急に秋だね」

「ほんとに今日なんてちょっと寒いくらい」

「こんなにパキっと季節って変わるんだね」


などと、しつこいくらいに「秋だね」トークをしていたところ、

よしみさんが秋の訪れがこわいと言った。

ぼくも長年秋がくることがこわい。

だけど、それをどこか恥ずかしく思っていたし、

数年前にブログに書いたら友だちから

「秋がこわいって、え!?」と笑われたから

やっぱりこの感覚ってチキンなんだなー、と、ひそめていたが、ここに仲間がいた。

だから何ってことはないのだけど、自分でもおどろくくらいそれが嬉しかった。


毎日は違うし、自分は誰とも同じじゃないし、

半年後のぼくがどんな目で世界を見ているのか想像もできない。

今日みたいな心身弱気状態がとつじょやってくることもたぶん避けられない。

写真を見ると、心はずむ夜を思い出す。

やさしい記憶がよみがえる。

未来に種をまくように、

わたしはたしかに愛でした!

と胸をはれる自分である瞬間をできるかぎり刻みつづけていこう。

自分を愛するってそういうことなのかも、と今おもう。


















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